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歴史と遺産

ドバイの歴史を紐解く

2024年2月21日(水)

漁村から近代的な大都市へと進化したドバイについて詳しく紹介します。

漁村から近代的な大都市へと進化したドバイについて詳しく紹介します。

ドバイの古代起源(紀元前3000年~1700年)

遥か昔のミノア文明初期へと遡るドバイのルーツ。

現在ドバイが位置する場所は、かつては広大なマングローブの湿地でありました。紀元前3000年までにこの湿地は干上がり、居住が可能な土地となりました。青銅器時代の狩猟を営む遊牧民が初めてこの地域に定住し、紀元前2500年までに彼らは立派なナツメヤシ農園を定着させていきましたが、これがこの場所を農業向けにうまく活用した初めての例として考えられています。穏やかな農耕時代が数世紀続き、5世紀にはオマーンと現在のイラクを繋ぐ貿易ルートに沿ったキャラバンの停留所となりました。その場所こそ、今日美しいビーチサイドレストランが立ち並ぶ、ジュメイラ(Jumeirah)地区です。 

ドバイ初期の入植地発展に重要となった真珠産業。

ドバイについての最古の言及は、1095年にアンダルシア系アラブ人地理学者のアブ・アブドゥラ・アル・バクリが作成した地理書に記録されています。また、1580年にはベネチアの真珠商人ガスペロ・バルビの日記のような手記に、真珠貿易でこの地を訪れた際の記録がありました。当時、この地の住民たちは漁業、真珠採り、造船に大きく依存しており、そのほか香辛料 そして織物を販売するためにこの道を通過する商人に宿泊施設や食物を提供して生計を営んでいました。現在、これらはご自宅へ持ち帰る最高のお土産 としてスークで購入いただけます。UAEにおける歴史の上での次の節目は、バニヤス族が政治的権力を獲得してアブダビに定住し、ドバイが属領となった1793年です。

城壁都市ドバイと独立(1800年~1893年)

記録によると、1800年初期のドバイは城壁に囲まれた都市であった。

18世紀後半、ドバイが属国となった時期に、アル・ファヒディ要塞(Al Fahidi Fort)が建築されました。バール・ドバイ(Bur Dubai)側の壁は、 アル・ファヒディ歴史地区(Al Fahidi Historical Neighbourhood)から始まりオールドスークまで続いています。 デイラ(Deira)側のアル・ラス(Al Ras)地区には壁が巡らされていました。1820年になると、英国が現地の支配者と海上停戦交渉を行いました。これは貿易ルートが開かれ、事業が盛んになることを意味します。 これにより、世界中の国々との一貫した交流が始まり、ドバイは重要な活動の中心となりました。 

何世紀にもわたり、西アジア各地からの貿易が行われてきたドバイのクリーク

ドバイの歴史上の節目となる年、1833年にバニヤス族のマクトゥム・ビン・ブッティがドバイクリークの河口のシンダガ半島に人々を率いて定住し、アブダビからの独立を宣言しました。その後、ドバイは漁村となりました。近年ドバイは大きな変化を遂げていますが、アル・マクトゥム王朝は今もなお、ドバイを支配しています。ドバイ・クリーク(Dubai Creek)のほとりを散歩すると、この街の往時に触れる ことができるでしょう。ドバイ首長国の遺産を繋ぎとめるこの場所は、アブラ船 やボートが歴史深い水路沿いを行き来する活気溢れる拠点となっています。

ドバイの近代化と繁栄(1894年~現在)

アル・マクトゥム殿下のご指導の下、目覚ましい繁栄を始めるドバイ。

1894年、外国人労働者の免税 を認める新しい規制により、外国人労働者の数が大幅に増加したため、この地域での貿易はさらに発展しました。インド人やパキスタン人の貿易商人が優れたビジネス環境を利用するために、ドバイへ押しかけたのです。この時期はドバイの歴史上、かなりの成功を収めた時期でしたが、未だに漁業、貿易そして真珠採りに完全に依存していました。そして1950年代に日本で養殖真珠が発明されるとこの地域の経済の脆弱性が露呈しました。しかし、この景気の低迷は長く続きませんでした。1966年、ドバイのすべてが変わりました。石油を掘り当てたのです。 

過去に知られた真珠漁村を遥かに超えて進化した現代のドバイ。

この石油の発見により、故シェイク・ラシド・ビン・サイード・アル・マクトゥムはドバイの開発を始めました。殿下はドバイ・クリーク近くの小さな集落から近代的な港、街そして商業のハブへと ドバイを変貌 させ始めました。ラシド港(Rashid Port)、ジェベル・アリ港(Jebel Ali Port)、ドバイ・ドライドックス(Dubai Drydocks)、ドバイ・クリークの拡張、そしてドバイ世界貿易センター(Dubai World Trade Center)はその当時に完成した主要プロジェクトの一部です。リーダーシップとビジョンにより、UAEは意欲的な建築物や社会的プロジェクトを推し進めることができました。わずか半世紀の間にドバイは急激に成長し、 ブルジュ・アル・アラブ(Burj Al Arab) や ブルジュ・ハリファ(Burj Khalifa)などの近代の奇跡とも言われる建築物を築き上げました。

絶え間ない拡張、革新の探求、機会を創出する街の取り組みの一環として、ドバイは旅行者や企業を引き付ける画期的なプロジェクトを常に企画しています。

ドバイの年表

ドバイの長い歴史における重要な日付
  • 紀元前2500年:ドバイで初めて ナツメヤシが栽培された。
  • 紀元500年代:現在のジュメイラにキャラバン隊基地が設置される。
  • 700年代:ドバイ産の真珠が中国の記録で初めて言及された可能性がある。
  • 1095年:地理学者のアブ・アブドゥラ・アル・バクリがドバイについて初めて言及(確定)。
  • 1590年:ベネチア人真珠貿易商のガスペロ・バルビがドバイを訪れ、真珠の品質について語る。
  • 1787年: アル・ファヒディ城塞 建築。
  • 1793年:バニ・ヤス族がアブダビとドバイに定住。
  • 1820年:英国がドバイ、アブダビそして他の湾岸諸国と停戦交渉を行う。
  • 1833年:マクトゥム・ビン・ブッティがドバイに定住し。
  • 1892年:ドバイは英国の保護領となる。
  • 1896年:シェイク・サイード・アル・マクトゥム邸 完成
  • 1903年:英国の蒸気船がドバイに寄港開始。
  • 1907年:ドバイは335隻の真珠船を保有。
  • 1917年:湾岸の真珠産業の全盛期。真珠1グラムは金320グラムに相当した。
  • 1930年代:養殖真珠の開発により真珠産業が崩壊。
  • 1949年:ドバイ最後の主要真珠採り遠征。
  • 1958年:シェイク・ムハンマド・ビン・ラシド・アル・マクトゥムの父、シェイク・ラシド・ビン・サイード・アル・マクトゥムがドバイの統治者となる。
  • 1959年:ドバイ空港 開港。
  • 1966年:ドバイが沖合で石油を発見。
  • 1971年:ドバイは英国から独立し、アブダビ、シャルジャ、アジュマン、ウンム・アル・カイワン、フジャイラと共にアラブ首長国連邦を形成(1972年にラス・アル・ハイマが加盟)。
  • 1973年:ドバイはUAEディルハムを同国の通貨として採用。
  • 1985年:ドバイ統治者がエミレーツ航空を設立。
  • 1989年:第1回ドバイ・デザート・クラシック ゴルフ大会開催。
  • 1990年:シェイク・ムハンマド・ビン・ラシドの兄、シェイク・マクトゥム・ビン・ラシド・アル・マクトゥムがドバイの統治者となる。
  • 2001年: パーム・ジュメイラ 建設開始。
  • 2002年:DIFC 開館、ドバイ砂漠保護区 開設。
  • 2004年:ブルジュ・ハリファの基礎工事完了。
  • 2006年:シェイク・ムハンマド・ビン・ラシド・アル・マクトゥムがドバイ首長およびUAEの副大統領兼首相に即位。
  • 2009年:ドバイメトロ 開設。
  • 2010年:世界で最も高い人工建設物、ブルジュ・ハリファ開業。

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